第二次世界大戦によって荒廃したわが国の産業・経済は、朝鮮戦争を経て再建が進み、高度工業化社会へと復興をはじめました。今日、伝統的工芸品産業がかかえる後継者不足や原材料の確保難など多くの問題は、次に示すように特に昭和30年代からの高度経済成長と、これに伴う生活様式、雇用環境などの変化によるところが大きいといえます。
技術革新、工業材料革命およびマス・メディアの発達により、大量生産、大量消費の経済構造が確立したことです。所得水準の向上とあいまって、規格化、標準化された低価格の生活用品が大量に供給・消費されるようになった結果、価格、量産性の面における競争を通じて、伝統的工芸品は近代工業製品に圧倒され、シェアを低下させていきました。
農村の衰退による影響があります。経済成長が進展するにつれ、農業などの第一次産業の比率が低下し、原材料の供給を農林業に大きく依存してきた伝統的工芸品産業の基盤が揺らぐ結果となりました。漆、木材、竹材、コウゾやミツマタなどの和紙原料、生糸などの原材料は、一部を除いて、その供給が農林業の中に深く組み込まれていたため、農村の疲弊により、必要量の確保が困難なものも出てきました。
道路、湾岸建設、宅地化などの推進があげられます。これにより、木材、竹材、石材、陶土などの採取が困難となったり、陶磁器の登り窯のように、窯周辺の宅地化が進んだため、煙害のおそれが生じ、窯を閉鎖せざるを得なくなった例もあります。
雇用環境の変化があげられます。産業の重化学工業化に伴う労働力の農林業から鉱工業への移動は、主として農村の低廉な労働力をその基礎としていた伝統的工芸品産業に、人手不足をもたらしました。また、就学年限の長期化によって、若いときから長期間の修行を必要とする「徒弟制度」の存立基盤が崩れてきました。この徒弟制度といういわば前近代的雇用形態は、戦後の民主的教育を受けた若者たちには通用し難い職業訓練システムでもあります。
同時に、高度経済成長による就業機会の増大は若者の労働観に変化をもたらしました。伝統的工芸品産業は、手仕事中心の地味な仕事であるうえ、小規模な事業所が多く、給与、休日、福利厚生などの雇用条件が十分に整備されていないこともあって、若者が集まりにくい原因となっています。
生活様式の変化があげられます。わが国の伝統的な生活様式は、農林業主体であった過去の社会状況を反映して、季節感を尊重し、五節供やお正月を始めとする季節ごとの行事、夏祭りや秋祭りに代表される豊作祈願の祭礼などに彩られてきました。
しかしながら、このような伝統的な行事・生活文化も、生活様式の洋風化、都市化が進む中で衰退していきました。また、戦後のマス・メディアの発達により、都会から農村のすみずみに至るまで、プラスチック製の食器や容器、化粧合板やスチール製の家具、電気洗濯機、テレビなどの家電製品が普及し、日本人の生活は、風土に関係なく均質化していきました。
国民の生活用品に対する意識の変化があげられます。戦前は、倹約を尊んで物を長く大切に使うという生活意識が支配的でしたが、戦後は一変して使い捨て思想がもてはやされ、商品選択の基準も価格、目新しさ、流行などの側面が重視されるようになりました。このような風潮の中で、一見して地味なデザインが多い伝統的工芸品は、長く使いこむことによって味が出てくるという特徴が真価を発揮する機会も限られ、消費者の伝統的工芸品に対する関心が薄れていったといえます。
戦後の家族制度の変化、特に核家族化の進行によって、親から子、子から孫へと伝えられた生活様式、生活意識、生活慣習の伝承方式が崩れて、伝統的なものが受け継がれにくくなっていることがあげられます。
項目 | 平成28年度 | 参考 |
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従事者数 | 62,690 人 | 288,000 人(昭和54年) |
生産額 | 960 億円 | 5,400 億円(昭和58年) |
ゆとりと豊かさをもたらす質の高い製品を求めるニーズの高まり地域独自の文化を見直そうとする風潮の高まり
「和」の暮らしや「ものづくり」に対する再評価、欧米における「和」の生活様式に対する関心の高まり
循環型経済社会を体現している産業であるという評価。